人生哲学

人生哲学 · 16日 7月 2023
生きていることはそうすんなり順境の時ばかりではない。逆境の時には本当に悩んだり、うまくいかないことに対して押しつぶされそうになることすらあるものだ。経営についても、景気が良い時には自然と売上もよくなり、利益もあがり給与も増加してくるので、この味がまた忘れられない印象を持つ。けれども不幸なもので、それも2~3年も続くと景気の波が襲い掛かって、不景気へと転落する。景気がいいから試行錯誤もせずとも成功を得ているのだから、本格的な稽古の落ち込みに対しては、大変な苦労を重ねなければならない羽目になってしまう。 苦労はつきものだから仕方はないだろう。いずれその苦しみも自分にとっては肥やしや人間としてのバネや筋肉に転換していくことを期待して、この苦を乗り切る覚悟を持ったほうが有益だろう。 いずれ雲間から太陽が覗くように、事態は変化していくことに間違いはないのだから。
人生哲学 · 02日 7月 2023
「人の好意」はありがたいものだ。困っている時の手助けやアドバイス。 そこから新たな解決法やなすべきことの完成へ導く出されることが多い。 さまざまな考え方があり、結論も多種多様である。だからこそ、拝聴することが大事である。 自分の世界観というものは、経験則によって築かれてきたものが中心だから、よく考えれば、偏狭で井の中の蛙的なところが多いということは否めない。半面、他社の意見や手助けを最初から求めすぎる習性がつくと、どうしても自らの頭で考えて結論を出そうとする過程を放棄して、「依存」することが楽であると流されることになりそうだ。 この限りでは、少々困難を要すといえども、考え考え抜いてその結果に基づき行動実践していくことが最重要だ。他人に淡い期待を寄せる前に、自分で咀嚼して飲み込んでおけばいいだろう。一方においては独りよがりにならないように注意し、心のなかにはある程度の余裕を持たせておくような弾力性も要求されよう。
人生哲学 · 25日 6月 2023
魚という動物は実によく機能的にできている。海中・水中ではいつ天敵に襲われ、食されるかもしれない。だからだろうか、魚眼という自分の背後や上部までもが見えるという。 魚釣りしていても、釣り糸を垂れて吊り上げようとしている人間の姿が魚眼を通じて映し出され、餌が撒かれても、近辺に近づこうとしない魚類も多い。では「人間の目」はどうか。自分を取り巻く危険性や情報を目から取り入れ、それが行動・考動の原点になっているのは、「魚眼」と一致している。それはそれで根拠があっていいだろう。 しかし、最近のインターネットなどWEBの世界では、盛んに視覚に訴えてきて、情報を掴まそうとしているのは事実で、目は外ばかりに向いていかざるをいない毎日である。少なくとも一日のうちに一定の時間、特に就寝前などは、心静かに自分の内なる心に目を向けるべきではなかろうか。外の世界に心を奪われ、本来の自分と対話できる時間が最も大切な時間の在り方だと思う。 目を内側に向け、内省したり、自分の思想と向き合い、事象の是非を黙考する。それこそが、哲学者カントのいうところの「われ思うゆえに、われあり」に通じるものであろう。
人生哲学 · 18日 6月 2023
人間・その他の動植物に共通するものは、一日のうちでも絶えず磁場の影響を受け、変化しているものである。 自分自身でさえも、生業である仕事にも、その変化は著しい。 どちらかというと自分の仕事は知的労働に近いことから、頭脳を使うことが多く、あまりにもやるべき仕事が雑多であるほど、疲労感が募ってくる。一日のなかでも、頭の切れや判断力が際立った午前中の早い時間帯はいいが、午後からというのは、業務の効率も低下してくる。 それは、他の人達も同様であろう。頭脳を酷使すればするほど、血液が脳に集中し、血液の循環性が阻害されるとされている。 こういう時こそ、気分転換や軽いストレッチ、瞑目した座禅・ヨガが一番いい。「忙中に閑あり」とはよく言いつくされることであり、頭の冴えを維持するためにはよい方法である。根を詰めること‥‥「居つく」ということが、自律神経を逆なでし、それが原因で健康を害する所以である。
人生哲学 · 30日 4月 2023
「老人」と言われたくない、思いたくはないと考えても、確かに自分の年齢を問うてみるとやはり、老年者という65歳の年齢をを超過している。 人生にも春夏秋冬があるということは自覚はしているものの、この歳を考えてみるにつけ、人生の晩秋として捉えられるには当然だ。でも、そうは思いたくない‥。しかし、どうしようもない現実の前に、どうしよもないものが横たわっているのも悲劇だ。真夏のように行動力に漲った時期も今から思うと、束の間の情景だったように感じる。年を重ねるにつれて早く感じるという「時の流れの速さ」は現実的だ。 色々な経験をしてきたものだ。それが自分の財産。楽しかったこと、上手くいったという思い出は、すぐには出てきにくいが、辛かった経験というのは、すぐに脳裏に浮かぶ。その経験こそが、肥やしになって智恵となってきていよう。風化した現在の自分の顔には、年輪を感じるようになってきた。この年輪こそが人生の苦杯を味わってきたエビデンスではないか。老人だからといって卑屈になるのではなく、この財産を社会へ活かしていくことこそが、恩返しであり、今後の使命と考えたほうがよさそうだ。
人生哲学 · 16日 4月 2023
何不自由ない生活。日本は豊かな国になったものだ。太平洋戦争後、戦後復興期の映像等がテレビで流れるのを見て、食べることに懸命になっていた時代もあった。私も戦後生まれで、29年生まれだから、随分と 生活ぶりは、戦後直前と比較すると落ち着きを取り戻した時期だ。 そうはいっても、空腹に耐えきれないという経験はないのだが、今のようにありとあらゆる食材がスーパーに並んでいることも少なく、八百屋や鮮魚店など個店が多くあった時代だから、大して食材が豊富にあったわけではない。 今の自分にとって、豊かさとは衣・食・住が理想的に整った状態であると考えるから、現在の生活に一つも不満はない。特に「食」について」は、毎日三食欠かさず食事ができていることに感謝すべきだ。 反対に飢餓の状態にはなったことがないから、軽い断食など、空腹の状態を経験をしてみて、何気ない当たり前の食事にも、尊い命をつないでくれているているのだと自覚をすることも、大事なことか。ありがたいことであるとしか表現できるすべはない。
人生哲学 · 12日 3月 2023
几帳面ではない自分の性格なのに、停滞しながらも続けているもの一つに「新聞の切り抜き」ある。 まめに一週間ごとに、気にいった新聞記事を切り抜いていれば特に問題ないが、時間が取れた時に、まとめて半年・一年分の特定の記事を切り抜きするのも苦労する。 この頃の情報は、SNSの進展に伴って、目からの情報が一番先に入ってくるためか、活字としての新聞を読む人が減ってきているようだ。 毎日、毎日いろんなニュースや事件が報道され、また、流されていき、留まることを知らない。 社会の動きについていくには、情報を活かしていくしかないので仕方のないことだが、少数派ではあるものの、活字文化も情報取得手段としては、まだまだ存在価値は発揮している。 今やっている新聞の切り抜きは実際のところ、過去の情報の掘り起こしであり、一見、無意味に感じてしまうこともある。時間も割かれる。 しかし、新聞等の活字文化は、過ぎ去っていった過去の事実や、社会・経済・文化・哲学をもう一度反芻・検証し、思索していくには十分な効果を発揮してくれる。 必要とすれば、何だっていい。 この世の中に不必要なものはないのだから…。
人生哲学 · 05日 3月 2023
長い間サックスを通して音楽に勤しんできた。音楽は自分の人生の中では大きな価値観を持ってきているのは事実だ。 特に高校の時から始めたサックスの音色には、独特の愛着を感じているし、吹奏楽器ならではの体力の存在が必要なのだが、最近、老齢化や感性・体力の低下のためか、吹奏感に思うような満足度が得られていない。 そういうなかで、あまり使ってはおらず、楽器こそは身近にあったキーボードを再度触ってみる。他の楽器からの刺激を求めてみたい。ただそれだけだった。 サックスと同じく十指を使って音階を奏でて、ある程度のスケールが引けるようになった。しかし、音階が下から上がっていくのはどうにかなるが、下りとなればそう簡単にはいかない。 練習量で乗り切るしかないとは思いつつも、ふと頭のなかを過ったものがあたった。若かりし頃はまさしく何事も登り調子だったはず。だが、今のこの老体にとっては、上ることはままならないし、静かにトーンダウンしていかなければならないのが今の在り方だ。ピアノと人生一緒だな。 どうやって下り坂を下りていくのか、真摯に考えらければならない年代だ。どんなことも下りや撤退が難しいということが実感だ。

 

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